幸福を追求する代わりに、闇を探求する* LonerWolf by ALETHEIA LUNA(海外サイト)
幸福を追求する代わりに、闇を探求する
あなたの問題の解決策は、幸福ではなく、あなたの痛みにヒントがあります。
あなたの痛み、闇、最大の恐怖や、影、それらがあなたの魂を光らせるための扉につながってるのです。頭の中のもやもやや、ほこり、ごみ、最悪の、不快で、嫌悪感を感じる、あなたのもっとも深い痛みの領域の中に、あなたがずっと探し求めてきたすべての鍵があるのです。
しかし、私たちのほとんどは、痛みこそが、その痛みを終わりにする唯一の方法だということを理解していません。私たちは、これまでずっとこういわれ続けてきたのです。「自分をほんの少し成長させたとき、あの人を変えることができたとき、あの場所に行ったとき、あの仕事についたとき、何歳になったとき、その資格をとったとき、あなたは幸福を手にするだろう。」と。
そして、その幸福追求ゲームは、明らかに中毒性のあるものです。それは常に、手に入れるべき新しい何か、演じるべき新しいドラマを追求するための、新鮮なスリルがあります。まったく単純に、幸福を追求することは、あなたに何かすべきことを与え、それがあなたをとても有意義な時間を過ごしているように感じさせてくれるのです。
実際、私たちの行動のほとんどは、幸福追求のために行われています。私たちは、そうすることが、私たちを完全にしてくれるだろうと感じるから「理想的な」人間関係を追求します。私たちは、幸せをもたらしてくれると信じている、より高い満足や安心感を得られるだろうと考える、高収入の仕事やお金を追求します。豊かな国々では、自分たちを幸せにしてくれると信じるため、必要でない物を買ったりします。
しかし、いったん追い求めた物に手が届き、または手に入ると何が起こるでしょうか。どのくらいの間、私たちは幸せな状態で居続けられるのでしょうか。時に一週間、一か月、いえ、それはたった一瞬です。しかし、その時、その幸せな感情は過ぎ去れい、私たちは再び、踏み車に足をのせ、次の幸せの〝源泉”のために大急ぎでペダルをこぐのです。
そして悲しいことに、私たちは、無意識に、衝動的に、このようなことをしているのです。そうです、幸福を求めることは、まったく人類誕生の時代から、今日私たちすべての人が共有しているもっとも一般的で、異常な中毒性のあるものなのです。
魂の痛みの治療法は痛みの中にある
"魂の痛みの治療法は痛みの中にある”
-Rumi ( in The Essential Rumi, p.105)
私がもがき苦しんでいた最大の魂の痛みは、怒りや悲しみではなく、恐れです。恐れは様々な、社会的、遺伝的、ホルモン的、心理的な要因によるものです。しかし、恐れという問題の真実は、恐れがそこにあることです。そのため、私は、私の人生全体のために、いつも日常生活レベルでも、常に恐れから逃げようと試みていました。
私の記憶にある限り、恐れは私の人生にずっとありました。神への恐れ、両親への恐れ、先生や他人への、最終的には自分への恐れ。
私は何度も何度も、この痛みとうまくやっていくことを試みました。薬やハーブ、精神療法、NLP,催眠療法、アファメーション、自己啓発や様々なものを試みました。これらの実践によって少しの間症状を和らげることができる一方、これらの方法は私が感じていたことを避けたり、最小化させたり、コントロールしている方法のように感じました。
ついに、私は、どんなに痛みから逃げようとしても、また、痛みがそこに存在しないかのように振るまおうとしても、それは影のように足元に忍び寄ってくるものだと悟りました。
そしてこの悟りの中で、私は地球上のすべての人々に発見してほしいと願ってやまない、とても大切なことを学びました。
魂の痛みの治療法は、その痛みの中にある
これは何を意味するのでしょうか。
イスラム神秘学者のルーミーは、大変雄弁に指摘しました。痛みがまさにその癒しの扉をもたらす、と。
痛みはメッセンジャーであり、サインであり、再び完全性へ戻る機会である、と。痛みは本質的にはあなたに平手打ちをしているのです。
「目覚めろ!お前はここにある何かに抵抗しているか、執着しているぞ!!」
だとしたら、私たちが目覚めるとき、私たちには、何ができるのでしょうか?
絶えず起こる感情的・心理的な苦しみはどのように克服したらよいか
私が、慢性的な感情的、心理的な苦しみを克服することについて話すとき、その場しのぎのもの、一回限りの治療法については話しません。申し訳ありませんが、そのようには働かないのです。
私があなたと共有したいことは、あなたが感じているものを避けたり、最小化したり、コントロールしようと試みることではなく、その代りに、痛みに向かい合い、その痛みに正直になり、痛みがあなたに教えることを許すことです。
私が話していることは、マインドフルネスと呼ばれているようなものです。私が経験してきたことから、マインドフルネスが、あなたの痛みに一瞬一瞬出会い、克服していくことができる唯一の方法です。
気づきの観点から、マインドフルネスが、私が行ってきたもっともパワフルなソウルワークのツールです。マインドフルネスは、直接に、内面の高次の自我につながることを助けます。
ここで言う高次の状態とは、開かれていて、無限で、個人的でない、すべてのものへの愛である、あなたの内面の空間、という空想的なイメージの表現です。私たちすべては、この無限の平和な空間を持っています。
ここでは、慢性的な苦しみを乗り越えるのを助けるいくつかのステップを紹介します。
1.あなたの”闇の景色”に向き合うことをいとわない
あなたが経験している慢性的な苦しみを乗り越えるために、あなたはあなたの闇を快く探求しなければなりません。あなたは、まだ向き合っていない、もしくは何年もの間、あなたが避けてきたことに、快く向き合わなければなりません。
あなたの闇は、物理的に言うと、時々胸をざわつかせるような、指の爪くらいの大きさかもしれません。さもなければ、あなたの闇は、終わりがないような、深いどん底や、地獄のようなものかもしれません。私たちの中にある闇の景色は、ひとりひとり違っていて、遺伝的に引き継がれていたり、常識や信念を身につけたのと同じように人生の早い時期での痛みによるものなのです。
2.痛みが起きたときに、痛みを引き起こしたものとその痛みに気づけるようになる
このことはとても難しく、何度も実践が必要となります。時に私たちは、私たちの内側に生まれたどんな痛みに対しても、即座に反応しようとする性質に、当惑したり動けなくなったりする傾向があります。私たちは、自動的に「自己防衛」モードに切り替わるロボットのようになります。私たちは、自分自身を、引っ込めたり、鎮めたり、抑えたり、怒ったり、受け身になることで守っているのです。
瞑想によって、痛みが起きたときにその痛みのトリガーと痛みに気づくことができます。また、定期的なマインドフルネスの実践によって、あなたの内面の”恐怖の景色”に気づくことができます。実は、マインドフルネスと瞑想はまったく一貫して同じものなのです。私はこのどちらもすすめています。
このスキルを身につけるためには、日常的にこれにかかわることが求められるでしょう。しかし私に保証させてください。あなたが費やした時間以上の価値があることを。
3.痛みが起きるとき、その痛みを許し、意識的に痛みを抱きしめる
人生の中で私たちにもたらされる痛みを避けようとする行為は、私たちにもともと組み込まれているものです。ここであなたにしてほしいことは、基本的に、逆効果に思われるかもしれません。しかし、私はあなたにそれをしてもらい、そしてそれがあなたの人生に変化を生むということを理解してもらうことに、挑戦してもらいます。
あなたが意識しながら痛みを抱きしめるとき、最も大切なことは、判断しないことです。あなたがあなたの感情やあなた自身を判断し始めると、あなたはさらにマインドと身体の中にさらなる締め付けと緊張を生みます。明らかにこれは解決に導く形ではなく、単にさらなる痛みに他なりません。
判断しないことは、マインドフルネスや瞑想の実践により、自然とできるようになりますそれはあなたが、”許さなければならないこと”と同じように、”しなければならないこと”ではありません。どんな意味を持つのでしょうか。
ここに、意識的に痛みを抱きしめ、するとどのようになっていくのか、という例を挙げます。
あなたは車をとめて、ショッピングに出掛けようとしているところです。夜です。星空の下歩き始めると、身体の中に恐れが広がっていくのを感じました。小枝がポキッと折れる音で思わず、飛び上がり、誘拐や、人殺しなどの考えが脳内に掻き立てられました。すぐにあなたがこれらの思い、考えや、自身の感覚に気づきました。それらの思いや感覚と闘ったり、劇化したりする代わりに、ただ単純に、そこにそれらが存在することを許すのです。その恐れに対して、あなた自身を閉じるのではなく、開いて、一度完全にその恐れを直視して抱きしめると、あっという間にそれが消えていくことがわかるでしょう。
ここで別の例を挙げます。
あなたの娘が何か有害なことをあなたに言いました。すぐにあなたは胸の中で、とげのある感覚を感じ、マインドの中で怒りの思いが生まれました。あなたは深呼吸をして、あなたを通して次々にやってきては再び漂っていく感情と考えを観察しました。
4.様々な考えや感情それ自体が”あなた”ではないことを理解する
私たちのほとんどは、私たちは自身の持つ考えや感情から成り立っているものだ、とよく言われ、そのような前提を持ってしまいがちです。アインシュタインはこれを”目の錯覚”と呼びました。あなたの闇を探すこと、痛みが起きることを許すことは、すべての考えや感情が一時的なものであることを理解することになります。すべての考えや感情があなたなのではなく、エネルギーの無意識の高まりなのです。もしあなたがあなたの考えや感情をコントロールできるとしたら、どうしていつも、幸せや愛の状態でいることを、選ばないのでしょうか?実際には、私たちは脳内の考えをコントロールすることはできないのです。個人と関係のない様々な考えや感情の本質的な状態を理解することは、内面の景色の操り人形になるというよりむしろ目撃者になることを助けるでしょう。
あなたが様々な考えをコントロールできないことを理解することは、苦く耐えがたい思い出を消そうとしながら生きることではなく、より内面のスペースを創り出す方法を学ぶことによってあなたの幸せに責任をもつということなのです。この内面のスペースは、考えや形の向こうにある、あなた本来の状態に、あなたを現していくことになります。
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あなたの闇を探求してください。そうすれば、あなたの光を再び発見できるでしょう。あなたの闇を探求し、それを許し、意識的に抱きしめてあげてください。そうすれば、その痛みは問題ではなくなり、抵抗したり、反応したりしなくなるでしょう。
”私は恐れと向き合うだろう。そして、私は恐れが私を通り過ぎ、私の中を通すことを許す。そして恐れが行き去るとき、内面へ向けた目が、その恐れが通り過ぎた道を見つめるだろう。恐れが過ぎ去ったその場所には、何もなくなっているだろう。ただ、私がいるだけだろう。” -F.Herbert (小説「Dune」)
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